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日常生活で困ったこと2

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日常生活の変化

規律性調節障害になってからの変化は急なものが我が家では多かったです。今回は特に変化して困った事に関してお伝えしていこうと思います。

  • 朝起きる事が出来なくなった
  • 規則正しい時間で生活することができなくなった
  • コミュニケーションが難しくなった
  • 部屋が荒れた
  • 清潔に保つ気力がなくなった

朝起きる事が出来なくなった

朝、部屋に入って「もう起きる時間」と声かけをしても殆ど反応しなくなりました。
体を揺すって起こそうとしても、体全体に力が入っていないような様子なので「活動」が出来る様に見ている方も思えませんでした。この時の血圧は上が殆ど90なく、顔色も良くありませんでした。

子どもの状態としては「しんどい」の一言に尽きる状態でした。特に午前中は歩くとフラフラしたり、頭が痛くなり、食欲もありませんでした。この状態になる前の前兆としては、登校中にも体調が悪くなりよく気持ちが悪くて歩く事が出来ないと連絡をもらうことが多かったです。そして、遅刻して登校する事が次第に多くなり。後になて子供から教えてもらいましたが。本人も普通に出来いていたことが出来なくなる日常に「悔しさ・焦り・絶望感」しかなかったと言っていました。


規則正しい時間で生活することができなくなった

朝起きれなくなり、生活リズム全体が崩れる様になりました。まず、朝ごはんを食べられなくなりました。学校があるときは6時30分には朝ごはんを用意していたのですが。その時間に起きられることはまずありません。早い時で10時また遅い時は午後からの活動になるので、1回目の食事は10時以降になります。また、食欲もあまりないので軽食(おにぎり・お味噌汁・フルーツ)がメニューとしては多かったです。このメニューでもおにぎりを全部食べることが出来なかったりと、その日の体調の変化の波が常にありました。

昼過ぎからは徐々に元気を取り戻し、夕方ごろにはそれまでの日常と同じ生活を送れる様になりました。ただ、反対に午前中の活動でエネルギーを消費する事が出来ないので、夜中まで起きていることが多かったです。この頃は完全に朝・昼・夜のバランスが崩れていました。また、夜はやることがないので、携帯でネットを見たりとどこの場面を切り取っても健康的な学生生活とは程遠い生活をしていました

コミュニケーションが難しくなった

子どもが「どのような気持ちでいるのか、何が不安なのか、何がしたいのか」これらが完全に分からなくなりました。その理由として子どもとのコミュニケーションができなくなったからです。規律性を発症するまでは自分の気持ちをはっきりと伝えてくれる子どもでしたが、発症後は話すことも億劫らしく。また自分の気持ちを表現し親に伝える事に罪悪感を感じている様子でした。特に、規律性を発症したばかりの頃は親としてこの病気の理解がなく「学校に行って欲しい・学校に本当は行けるのではないか」と考えていたので、その気持ちを察していたのだと思います。


では、どの様にコミュニケーションを取っていたかというと。本当に症状が重い時は全く取れませんでした。実際、子どもの部屋に入るとポストイットが机の下など見えない所に貼ってあり、「苦しい・悲しい・悔しい・生きている意味が分からない」など、前向きではない言葉が貼ってありました。それを一枚一枚眺めながめていると涙を堪えることが出来ませんでしたが、本当に苦しいのだと理解する事で自分も精一杯でした。
(ここら辺から、親としてもストレスを抱える様になり徐々に体調が悪くなりましたが、それはまた別に投稿させて頂きます)


部屋が荒れた

部屋が荒れたと書くと暴力的な事につながりそうですが、そうではなく部屋の荒れとは子どもが部屋に閉じこもってしまいそこで生活をする様になってしまったので、なかなか掃除する事が出来ず、綺麗な状態を保つ事が出来なくなりました。部屋が整理整頓されていないと、気持ちも荒れる原因になりそうなので、その時の状況で出来る範囲で整理整頓するように本人にも促していました。が、やはり気力がないので自分一人では部屋を片付けませんでした。学校で使うプリント類も散乱していたのですが、これらが目に留まると本人より悩ませてしまったので思い切って捨てました。(こちらは学校生活の投稿の方でも書かせて頂きます)この時の生活目標は「シンプルで平穏」な生活を心がけるようにしていました。


清潔に保つ気力がなくなった

規律性になってから、子ども自身が生活面全般を面倒に思うようになりました。それは、お風呂に入ることや歯磨きだったりと、生活のごく基本的な事すら面倒になっていました。それまでは何も問題がなかった生活の中では「自分自身に関心がなくなった」こと、また、「動くことが疲れる」のだと理解するまでに時間がかかりました。その為、これらの基本的な行動を出来る限り共にすることにしました。一人では面倒に思うこともエネルギーがあるときに共にすることでクリアしていた感じです。しかし、この逆戻りは親として大変心がすり減るものがありました。普通に出来ていた事が出来なくなってしまった事が目の前で起きていること、その事を全面的に受け止め理解することは決して容易なことではありませんでした。耐えられずに子どもの前ではありませんが涙を流す事が多かったです。